腐印注意

腐印の 映画 アニメ BL 雑記。おもにネタバレありです。

「完全なる首長竜の日」

リアルの原作本です。
うん、映画とはね、だーーーいぶ、印象が違いました。設定もかなり変わってる。まず、主人公は女性でした。恋愛ドラマではなく、姉と弟、家族の物語でした。このミステリーがすごい、の第九回大賞だったそうで、そうだなぁ……ミステリーって感じも、読んでいる間はそんなに意識してなかったけど、映画で表現されていたほどSFな内容でもなかった。
センシング、というこん睡状態の人との意識の共有、という空想科学なアイテムはあるんだけどさ、それ自体は、まあ、生き霊でもテレパシーでも、それっぽいものを思い浮かべれば、それでいいんじゃない? みたいな。そこの説明にはそんなに興味は惹かれませんでしたが、そうですね、主人公の女性の日常が、けっこう丁寧に描かれていて、素直に、主人公に共感できたのが、物語としておもしろかった。
中堅のマンガ家、しかし、連載が打ち切りになって、ピークはすぎたという感じ。アシスタントに有望な子がいて、のぼり調子のその子と、人生の折り返し地点をすぎた自分との対比。ある程度財産もあってあくせくする必要はもはやないけど、では残りの人生、自分にはなにが残されているのか、という、うっすらとした煩悶に、すーごいリアリティがあった。。。乾緑郎とあるので作者は男性なんでしょうが、すごいなー。まるで本当に女の人が書いてるみたいだなーと。

映画では、健が演じた主人公に綾瀬はるかの演じる奥さんがいて、こん睡状態の妻を目覚めさせようとする夫、でも、真実は、ふたりの立場が逆でした、健はよっぱらって水に落ちて、しかし、それを招いた遠因は、かつて海で死んだふたりの幼馴染でした、という、まあ、わりとわかりやすい恋愛メイン設定。
しかし、小説は、自殺未遂を起こした弟とセンシングしている姉、しかし、実際には、担当との不倫を苦に自殺未遂をしているのは主人公である姉の方で、現実には弟は幼いころに海で亡くなっており、では、夢のなかでこの弟の存在を騙っているのは誰なのか、みたいな、このへんはたしかに、小説の方がミステリーっぽいかな。全体に、主人公が自分の家族や人生を振り返る流れになっていて、そこに、現実と仮想意識の境界の曖昧さみたいなものが絡んで、謎解きっぽく展開していくんですけど。。。

たしかにこれは、黒沢清っぽいな、とむしろ小説のほうがそう思わせた。無意識の中に、何か別の存在が住み着いている、みたいな。首長竜も、べつに恐怖を感じさせるものではなくて、主人公にひっかかりを感じさせるためのアンカーみたいな存在だったし。
現実にもどることが大事、というよりは、自分の内面にあるものを探っていく過程が面白い小説の方が、うん、私としては好みでした。ただ、オチはなぁ(笑) 「インセプション」とか「ドグラ・マグラ」とか見てしまっていると、またそのはじめにもどるループ的なあれか? という肩すかしな感じは。平和な日常にもどりましたじゃダメなのか?(笑)

あーあと、映画にははっきりでてこない、ポゼッションと呼ばれる“憑依”の現象があって、これは、インターフェイスでつながっていないはずの、“他人”が意識に介入してきます、という霊的な現象なんですが、その発想はね、おもしろかった。映画では、死んだ幼馴染がこの存在を表しているみたいだけど、ああいった従来ある、恨みを残している的な、たたりっぽい霊じゃなくて、もっと新しい、人間の可能性みたいな存在だったので、そうねー、あそこをふくらましてくれてもよかったかも、と個人的には。ミステリーっぽいからくりにはね、途中で大体気づいてしまうので、風呂敷を畳むための後半の説明はちょっと退屈しちゃうというか、うん、失速するので、こう、もうひとこえ! オチに向けてのさらなる加速があれば! 私としては文句なしの本だった気はします。

いや、こうなると、映画にはずいぶん黒沢脚色があったんだなぁーと。たしかに、あの幼馴染の存在って、なんか中途半端な気はしてたんだよな。。。でも、小説に添った話にしちゃうとたしかに、映画としては地味……だし、わかりづらいよなぁ……。多小つじつまが合わないところはあっても、映像としての面白さとか、エンタメっぽいハデさとかを追及したら、やっぱ、健を主人公にして恋愛要素とかいれるのは正解なの、か?(笑)

いやまあ、私としては、どっちもわるくない。映画は映画で面白いし、小説は小説で、なるほど、と納得できました。てか、映画をみていなかったらおそらく原作を読んでないと思うから、そういう意味では二度おいしい作品だったと思います。


「Colorful」みたいにどっちを見てもイライラしちゃうときもあるんでな(笑)
それは不幸な時間の過ごし方ですわー。