腐印注意

腐印の 映画 アニメ BL 雑記。おもにネタバレありです。

「悪魔の嵐」

これ、むかし夏になるとやっていたスティーブン・キング原作のテレビホラーなんですけど、いくつか見たシリーズのなかでは一番印象深かったんですよね。「シャイニング」とか「ランゴリアーズ」とかもおもしろかったが、私の中では、「悪魔の嵐」、ツラさ、ダントツです。
ちいさな島に住む住人たちを襲う悪魔の話なんだけどさ、これ、怖いのは悪魔ではなく、人間、キングの作品はいつもそうですが、多数にまわったときの人間の怖さというのかな。それがねっちり描かれてマス。イナカにある常でですね、みんな、うすうす近隣住民の後ろ暗いところを知っているんだが、表向きないことにして日常を送っているのに、そこに悪魔があらわれて、ひとーつひとーつみんなの前で暴露していくわけですよ。主人公の保安官の学生時代のカンニングなんかかわいいもので、ちょっとシャレにならないような、それ、フツーに犯罪だよね、というようなこともなかにはあるんだが、その恐怖と不安を利用して、悪魔が取引きをもちかけてくるわけです。
“こどもをひとり差し出せ”
という要求を、しりぞければ島民は全員死ぬことになると脅されます。で、8人いるこどものうち、誰を差し出すか、それとも全員で戦うか、という選択を、みんなで評議して行うのがクライマックスなんだが、どうですか、このすげー米的な展開。よし、話し合おう、と教会でね、サンデル教授の授業ばりに意見が飛び交いますよ。

まあ、理屈として正しいのは、“みんなで戦う。テロには屈しない”というやつだと思うんだが、そこはそれ、相手は悪魔でこっちは人間ですから、すぐに、“ひとりこどもを差し出そう”って話になっちゃいます。で、主人公の保安官ひとりが“戦おう!”と主張するけど、聞き入れられない。多数決の残酷さです。で、当然の成り行きで、保安官のこどもがクジにあたってしまう。彼は死ぬわけではないんだけど、悪魔の後継者になるので、まあ、死ぬより怖い結末ともいえる。

ほんとー悲しい結末なんだが、これ、悪魔がどうこう、正義がどうこう、という話ではなく、民主主義の残酷さ、というのかな、自分が少数派にまわったときの絶望感みたいなのを、すごく感じさせるんですよね。

こどもを生贄にして生き残ったわけだから、もちろんみんな無傷ではいられないんだが、それでも、忘れたふりをして日常を送っていきますよ、という、まあーほんと、身につまされる話です。

「ニードフルシングス」も似たような話なんだけど、この話では、なんとかみんなで悪魔を撃退してます。そして「ミスト」。これ、テイストとしてはちょっとちがうように見えるけど、でも本質は一緒なんだよね。このお父さんは、多数決になりそうな予感を感じて、ちゃんとそうなる前にこどもを連れて逃げ出しました。逃げ出したのにこの結末……という、巷では大不評のオチなんだが、私はね、「ミスト」は好きなんです。「悪魔の嵐」のオチよりも、
ミスト」のほうが、がんばった末の仕方のない結末、という気がするんだな。あとね、こども、実際に犠牲になるこどもの意見をね、本当は聴くべきじゃないですか。それが、「ミスト」ではちゃんとなされているので、そこも、私的には支持しているところです。“こどもに大事なことが決められるわけない”っていうのは、大人の傲慢だよね。

まあ、どっちにしろ、ドSなオチではあります。フランク・ダラボン、さすがだね。「ザ・フライ2」を撮っただけあるね。

「ミスト」は文句なしのでき(私的に)なんだが、「悪魔の嵐」はね、正直、ちょっと前半長すぎ(汗) これ脚本キング本人がやってるんですけど、そのせいかな、エピソードをつめこみすぎてる感じが。メインはオチのところなので、もうちょっと話をはしょって3話でなく2話にすればよかったのに、と思いました。やはり原作者だと思い入れがあって、けずるのが難しくなってしまうのかなー。
ただね「シャイニング」なんかは、長いけど、テレビシリーズのほうがわかりやすかった。キューブリックの映画のほうが有名ですけど、そうねー、たしかに、あれは才気ばしりすぎて、原作者としては利用されたみたいな気がしちゃうかもって感じはします。つかさ、大人になってから見たせいか、キューブリックの「シャイニング」は、怖いというより笑っちゃったんだよなー私。雪の中にうまったジャック・ニコルソンの顔、ドーーーン! のシーンで噴き出したんだけど(笑)
「キャリー」とか読んだときも思ったけど、キングの恐怖って、悪魔とかのホラー的な怖さじゃなくて、人間というものの恐ろしさがメインという気がするので、そこのところをおざなりにされてた映像化作品があると、なんか気の毒ー、と思ってしまいます。やっぱダラボンがいいんじゃね?(笑) デ・パルマの「キャリー」も好きですけどね。